合氣道探求第45号インタビュー「師範の横顔」から抄録 |
(平成25年1月20日発行)師範の横顔(第28) 合氣道五十嵐道場・道場長 五十嵐和男七段 |
仕事を辞めて内弟子に ……… 先生の合気道との出会いをお聞かせください。 五十嵐:合気道の演武を初めて見たのは明治大学に入ってからです。それまでは柔道をやっていました。合気道、少林寺拳法、空手道の3部が新入生を対象に部活紹介の演武をしているのを見ました。「力を使わなくても相手を倒せる」とか「小さい人でも強くなれる」という話を先輩から伺って不思議だし面白いなと思って入部しました。 監督として小林保雄師範が本部道場から週一回指導に見えていました。部員は全員揃えば70名ぐらい。体育会に入るのを目標にしていましたから、礼儀を始め、その他の体育会の部に負けないように厳しくやっていました。三年生以上は黒帯ですし、数も多く、いつも有段者の人と稽古ができる。とても良い稽古をさせていただきました。 本部道場の稽古にも、交代で通わせていただきました。あの頃の先生方はみなさん個性が豊で、技もそれぞれ違い大学の稽古とは違う面白さがありました。 ……… 指導の道に進まれるまでのいきさつをお聞かせください。 五十嵐:大学卒業後は出版社で編集者をやりながら、大学での稽古や本部、小林先生の道場に通っていましたが、1年に10回程度。小さな出版社ですから、土・日もないような生活が5年ほど続きました。 この仕事も、もう限界かなと思っていたころ、東京小平市で道場をやっていた小林先生から、埼玉県所沢市に道場を出すという案内をいただきました。その道場開きに伺ったときに、先生に内弟子にとお願いいたしました。昭和47年11月です。翌年の1月から、小平道場に住込み合気道生活が始まりました。 ……… 指導する側になって難しいと感じた点は? 五十嵐:あの頃は自分が稽古している延長のような感覚でいました。特に“ああしろ・こうしろ”と言われることはなく、皆なと一緒に稽古しているという感じでしたから、難しいと思っていませんでした。
気がつけば30周年 ……… 独立されたのはいつ頃ですか? 五十嵐:昭和51年に結婚をしたのを機に、内弟子生活をやめてアパートを借りて暮らし始めました。その後、53年に北欧で指導に当たられていた市村俊和師範の補佐ということで派遣されました。1年の予定でしたが、ビザの関係で10ヵ月ぐらいです。 帰国後、横浜に住んでいた父が亡くなり、母一人になってしまいました。そこで横浜の実家に戻り、そこから八王子、川崎元住吉、春日部の小林道場を指導していました。しかし、横浜からあちこち指導に出かけるのも厳しく、また家が高台にあり、高齢の母にとっても不便。そこで母の了解をもらい横浜の家を売って、道場を建てることにしたのです。相模原橋本に道場を開設したのは昭和58年2月です。 道場設立にあたっては苦労をしたとは思っていません。何より自分の好きなことをやっているわけですから。道場を建てるには小林道場の会員さんが手助けしてくれました。また、本部道場に住込んでいた時期もあり、先生方、会員さんとの人脈もあり、会員も少しずつ増えていきました。気がつけば、どうにかこうにか続けてこられていて有難いですね。環境が良かったのでしょうね。感謝しています。気がつけば今年で30周年を迎えます。ハワイで記念大会も行います。 考えれば、仕事をやめて内弟子になった時もそうでしたが、会社勤めをしていた時にお金を使う暇もなかったし、住込みの時もこれまたお金を使うこともないし。 「私でもなんとかなるんだ」と皆さんにも言っていますよ(笑)
楽しい中にも厳しさを ……… 小林先生に教わったことで印象に残っていることは? 五十嵐:初めて北欧に派遣されたときに「座り技から始めなさい」「後ろ技からやりなさい」と言われました。海外の人、特に北欧の人は大きいです。立ったら相手を見上げるような感じになるから、先ずは座り技で、そして後ろ技から稽古。そうやって相手の身体の大きさに慣れることから入りました。 ………指導モットーについてお聞かせください。 五十嵐:始めた以上は長く続けていただきたいですね。強くなることも大事ですが、和気あいあいとした雰囲気を大切にしています。「一人でも多くの人に合気道を」というのは小林先生のモットーでもあります。 できるだけ丸くお互いに合わせるような稽古、力を出し合うような稽古、それから若い学生にはスタミナをつけるために数10本と技をかけ続ける稽古、そうやってそれぞれの体力や習熟度、年齢に合わせて分けてやっています。 とにかく素直に楽しんでいただきたい。それぞれのレベルに合わせてね。そして指導する側はそれぞれのレベルに合わせた答えを持っていないといけない。それぞれの人に合わせて、お互いに楽しくケガをしないように稽古したいものです。 もちろんそういう楽しい中にも、武道ですから厳しさがないといけない。特に子どもクラスには礼儀作法と体力を身につけること。子どものうちは技うんぬんよりもしっかりと体力をつけてほしい。礼儀作法については親の前でも叱ります。 ……… 第11回国際合気道大会で講師を務められた感想をお願いします。 五十嵐:ほかにも多くの高段者の先生がいらっしゃる中、講師を務めさせていただき光栄でした。久々に会う海外の会員もいて、懐かしかったですね。
合気道は悩み多きもの ……… 稽古の目標をお願いいたします。 五十嵐:道場が10周年を迎える時、吉祥丸先生にご挨拶に伺った折に「おめでとう。合気道の面白さがわかるのは60歳になってからだから、これからも頑張りなさい」とお言葉をいただきました。 合気道は悩み多き武道です。やればやるほどわからないことが生まれてくる。絶えず発見があるし、一つのことが分かれば、また分からないことが生まれる。だから面白い。動く武道であり、考える武道でもあります。 身体が動く限り合気道を続けていきたいですね。 |